事実と意見の混同を見分けるのは難しい。
時事的現象としてではなく、100年後を見る視点がないと、悲劇が起きているのを見過ごす事になるかもしれない。
以前、いわき芸術館アリオスで『アトミックサバイバー』の取材をしながら、そう考えた。
劇の中で「再処理工場からは、原子力発電所から出る『1年分』の放射性廃棄物が、『1日』で排出されます」というフレーズがあった。
恐ろしいフレーズであるが、恐ろしくないフレーズでもある。
原子力発電所の存在をどう考えるかで、同じ事実を、全く異なった意見の証拠として挙げる事が可能だ。
原子力発電所から排出される放射性廃棄物は危険だと主張する側からは、365日分を1日で排出するのは深刻な環境汚染源という事になる。
一方、原子力発電所は管理がしっかりしていて環境汚染の危険性はほとんどないと考える側だと、通常の365倍の放射性物質でも問題ない。
なぜなら、原子力発電所の排出管理がしっかりして排出量がゼロに近くなるほど、再処理工場の排出倍率の数字は高くなるからだ。
たとえば発電所が1で、再処理工場が365の排出なら、365倍(1年分)となる。
だが、発電所が管理を強化して排出を0.1に減らすと、再処理工場365の排出率は3650倍(10年分)となる。
同じ『1年分』の数字が、原子力発電所をどう見るかによって、異なった意見の証拠として挙げられる。
放射線量と健康被害でも、同じ事が起きている。
医療現場では『がん』を発見する方が放射線の危険よりも有益だと、防護数値から考えると高すぎるような線量を人体に照射している。
一方、それより少ない積算線量で『がん』『奇形』『遺伝』が心配だと、恐怖を訴える人がいる。
チェルノブイリでの事故の後、放射線への恐怖心から妊娠中絶をしたり健康を崩す人達がたくさん出た。いわき市では、仕事を辞めて転出する若い世代の住民が相次いでいる。
時事的にではなく視線を100年先に向けて、
目の前の事実を、自分を勘定に入れず冷静に見る必要があると感じている。
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