大飯原発3号機4号機の再稼働に加担している福井県とおおい町の態度は、エゴである。
多くの安全対策不備が指摘される中、東日本大震災より大きな天災はないだろうと、運を天にまかせる運転をうけいれた。
事故による水源の琵琶湖や内海の日本海汚染のダメージは、東京電力の福島原発事故の比ではない。東京電力のこれだけの原発事故を見て、なお、周辺自治体への迷惑を軽く見ている。
国や電力会社と一緒になって、多くの国民が反対し疑問を投げかける原発再稼働のありかたを是とし、福井県とおおい町は拙速な再稼働に加担している。
原発利権の一部にありつこうと焦る姿は、事故が起きるか否かにかかわらず、醜悪と言うしかない。
福島県のケースとは違い、これから事故が起きたら福井県とおおい町は明確な加害者だ。
「安全神話に騙された」「国が安全だと言った」などの言い訳や泣き言は、ほとんど出来ない立場だと覚悟すべきだ。
福井県は関西圏への原発での電力供給に感謝しろと国に要求した。しかし、暴力による強制がなければ、経済行為はお互いさまだ。原発の経済関係は共存共栄で、福井県でも福島県でもどこでも、一方的な犠牲はない。
今回のような破滅的な汚染事故や救済対象と認められない健康被害、処理困難な汚染物質の押し付けでバランスが崩れる。だから、決して安全と最終処分を安売りしてはいけない。全てを失いかねないからだ。
福井県もおおい町も、事故や最終処分問題で、経済外強制が発生しない間は、大きな顔をしてはいけない。電力会社や電力消費地に感謝しなければならないのだ。
福島県富岡町の遠藤町長は「町民は全てを失った」と、6月29日に謝罪に来た東電の会長と社長に対して語った。富岡町の遠藤町長の悲痛な発言でさえ、近隣自治体の住民としては複雑な気持ちを抱いて聞く。
福島県や立地自治体は安全保障で緩みがあった。馴れ合いや依存があり、安全に対する思考停止があった。それを一方的に電力会社や国の責任にするのは、違和感がある。福島県の私達は、被害者であるけれど、同時に加害者でもある。加害者グループの一員なのだ。
もし原発事故で『おおい町民は全てを失った』としても、自ら招いたと考える人は、福島のケースより圧倒的に多くなるだろう。不備や危険を指摘され警告され、それでも進んで受け入れたからだ。福井県やおおい町のような加害側自治体を税金で全面的に救済するのは疑問だと、指弾する論陣に、私は加わるつもりだ。
お客様や隣近所への迷惑より、自分の米櫃を満たす事を優先した。消費地や近隣自治体の住民を敵に回した。これからは、そう見られると福井県とおおい町は覚悟してほしい。
フクシマ以前と以後で、原発立地地域への視線は変化している。これまでと同じではない、厳しくなっている。立地自治体の責任が問われる。
「福井の本気すごいです」の声 大飯原発再稼働反対 福井で集会&デモ
原発立地自治体の立場は、微妙で複雑だ。