知事の返答は、『県内に、このまま置く事は考えられない』だった。
写真は『まちメディア』6月号の表紙写真の取材時に、いわき市久之浜町で撮影した。3月11日の津波の被災現場だ。このピアノは3月11日は、放射能で汚染されていなかった。
もし汚染されたとすれば、3月12日以降。 原子力発電所事故で敷地外に、国と東京電力が放射能を出したからだ。
汚染したのは、国と東京電力に管理責任のある原子力発電所の事故だ。責任は、ピアノの所有者ではなく、国と東京電力にある。もし、ピアノ所有者が瓦礫として処分して欲しいと望めば、安全に処理する責任は、国と東京電力にある。
それが、地元感情だ。
福島県内で土壌汚染が深刻化している。
福島県郡山市で学校の校庭が汚染され、市が除染した時に出る汚染土を、どう処理するかの問題が残った。
正義感からの発言だとは思うが、「校庭の砂を福島原子力発電所に運べばいい」との発言をテレビで聴いた。
『報道ステーション』の解説者だ。
2度目に、「原子力発電所に汚染土を運べ」という主張を聴いたのは『テレビタックル』のゲストの大学教授の発言だった。
福島第一原子力発電所は福島県の大熊町と双葉町にある。汚染土を、この2つの町に運べという主張だ。
軽率な発言ではないだろうか。
核を使用して出た放射性物質の最終処理を、事故での汚染土壌であろうと、発電後の廃棄物であろうと、正義感や思いつきで決めてはいけない。
国と東京電力の事故を起こしませんという約束があるから、福島県も2町も原子力発電所を受け入れているが、最終処分場は受け入れていない。
どさくさまぎれの最終処分など、「考えられない」。
環境省次官の『運び出せない』発言は、3度目に聴いた軽率発言だ。
環境省次官の来県は、原子力発電所事故の加害者が被害者に損害の後始末を押しつけに来たと、住民として受け止めた。
核廃棄物の最終処分は東京電力の本社所在地や、東京電力の電気を使っている地域も責任を分担すべきだ。国は、早急に受益関係者を集めて協議を始ねばならない。
福島県知事の発言は、国の原子力政策の根本を問う重い言葉だ。
