2011年5月11日水曜日

学校給食に福島県産の牛乳使用==いわき市は市民目線で、ていねいに。

福島県産牛乳は安全なのに、なぜ、いわき市民は不安になったのか?
(bloggerの不具合で最終稿が消えていたので書き直しました)

 4月末に、子供が持ち帰ったお知らせで、福島県産牛乳が学校給食に出される事を知った保護者が不安になり、いわき市へ問い合わせが相次いだ騒動がありました。5月に入っても、保護者の不安が解消されない状況が続いていたようです。
いわき市のホームページに、給食で出した牛乳について記事が出ています。

『いわき市の学校給食について』(2011/4/29付)

学校給食につきましては、現在、従来のような献立での提供が行えず、保護者の皆様には大変ご迷惑をおかけしております。
また、現在はパンと牛乳の提供となっておりますが、保護者の皆様などから、現在提供しております牛乳や今後使用していく食材についてのお問い合わせを頂いているところです。
牛乳につきましては、国や県の検査により安全性が確認された原乳を使用したものが 流通しているところですが、福島県産の原乳につきましても安全性が確 認されたものが流通しているところであり、福島県内の学校へ牛乳を供給する事業者において、福島県産の原乳を使用することとなったところです。
なお、いわき市の学校給食では、4月25日以降に検査された原乳を使用した牛乳が4月27日以降に供給されておりますが、県の緊急モニタリング検査による4月25日及び4月26日の測定結果は「不検出」となっております。
農林水産物の出荷制限やモニタリング検査結果につきましては、福島県のホームページをご覧ください。


本市の学校給食については、これまでも食品衛生法など関係法令を遵守し、食材の品質や衛生管理の徹底に努めながら、安全で安心な給食を子どもたちに提供してきたところであり、今後においてもその方針が揺らぐことはありません。
食品については、国、県が検査に基づき安全性を確認しており、市としては、当然、安全性が確認されたものを学校給食で提供していくものです。



  この文書で、保護者の不安は解消されるでしょうか。これで不安が消えるとすれば、いわき市政にたいする理解と信頼が高いと、私は思います。



文書には「子供には微量でも放射能で汚染されたミルクを摂取させたくない」と考える保護者に、安心してもらえない要素が3つあります。
  • 安全を裏付けるデータが具体的に分りやすく示されていない。(HPにはデータへのリンクがあるが)
  • 行政は微量の放射能汚染を許容すると疑われている事に対する、対策や配慮が無い。
  • 子供にも親にも拒否する事ができず牛乳の摂取を強制される事態に対する不満への、配慮が無い。
以下で3つを確認してみましょう。

1.いわき市の学校給食のミルクに放射性物質は入っていない。(データを見る)

まず、福島県産牛乳の検査経過です。いわき市の文書にリンクされている福島県産農林水産物の放射能測定の実施結果から、いわき市の原乳調査を約10日ごとに抜粋してみました。
福島県の原乳の調査結果(いわき市 単位Bq/kg)
3/19採取        ヨウ素-131→980   セシウム-134→不検出  セシウム137→ 6.6
3/29採取    ヨウ素-131→  55   セシウム-134→不検出  セシウム137→不検出
4/  7採取      ヨウ素-131→  38   セシウム-134→不検出  セシウム137→不検出
4/  7採取    ヨウ素-131→  16   セシウム-134→不検出  セシウム137→不検出
4/19採取    ヨウ素-131→不検出  セシウム-134→不検出  セシウム137→不検出
4/26採取
      (乳業工場)   ヨウ素-131→不検出   セシウム-134→不検出  セシウム137→不検出
5/10採取
      (乳業工場)   ヨウ素-131→不検出   セシウム-134→不検出  セシウム137→不検出

福島県内の緊急モニタリング結果では、福島市で4月19日にヨウ素131が17.2Bq/kg検出されたのを最後に、以後すべての地域で不検出です。
乳業工場では、県内産の原乳をブレンドして作ります。県内で検査した牧場の牛乳はどこも不検出。さらに、乳業工場でブレンドした牛乳からも不検出ですから、県が検査していない牧場の原乳にも放射性物質は入っていないと推測できます。

ですから、4/27に学校給食で出された福島県産のミルクは、放射性物質が不検出だと思われます。

しかし、学校給食の乳業工場を調査した結果は公表されていません。
保護者の気持ちを思えば、学校給食ミルクの乳業工場で放射性物質を調査して、結果を保護者に知らせる手間をかける事が、いわき市の行政にとって経費と手間のムダだとは思えません。
2.行政は放射能汚染を許容するのでは?と市民が疑念。

3月に東京都で水道水が放射能汚染のため乳児の摂取制限が行われた時、乳児以外はヨウ素131=300Bq セシウム=200Bqが暫定基準値であると報道があり、行政は、暫定基準を下回っていれば飲んでも大丈夫と広報していました。
さらに、農産物の暫定基準値も同じ数字で広報していたので、今回、原乳が基準値を下回ったので安全を確認した言っても、放射性物質が入っているのではないか、どれだけ入っているのだろうと保護者が不安になったのではないでしょうか。

国の暫定基準値はあっても、いわき市の行政は主体的に市民を守ってくれると日頃から信頼されていないと、市民は疑問を抱きます。

国はヨウ素131=300Bq セシウム=200Bqを摂取制限値としています。いわき市はそれ以下なら放射能に汚染されていても給食に出すのではないか、と保護者が不安になったのです。
「国が…」「県が…」と責任を回避し主体性の無い対応をする、いわき市の行動を保護者は危惧したのです。
3.保護者の意向を置き去り。

子供の予防接種では接種するかどうか保護者に意向確認をしていますが、今回の学校給食の牛乳騒動では、子供の健康に関わる問題なのに保護者の意向は置き去りでした。子供も保護者も飲まない選択肢は与えられないのです。そのため、保護者の理解を得る丁寧さが一層求められるのですが、それが欠けていました。

たしかに、いわき市は安全なミルクを出す状況だったし、正確に伝えていたのです。が、情報と知識を伝えるとき、受け取る立場に配慮する事も大切。難しい問題です。
今回の学校給食の牛乳騒動は、『安全』であっても『安心』できない典型的なケースです。
生命や健康へ危険の恐れがあると不安になり、デマに惑わされやすくなります。行政が丁寧に対応しないと、デマや風評の火種を、行政が自ら作ってしまう危険があります。

福島県産牛乳を学校給食に出す事が、保護者への丁寧な説明を抜いてまで急ぐべきだったか、検証しておくと、いわき市は貴重な教訓を得られるのではないでしょうか。
放射能汚染をめぐる、広報の難しさを象徴する出来事でした。

行政にも、住民にも放射能汚染との戦いは始まったばかりです。
(馬上 雅裕)

2011年5月5日木曜日

原子力発電所の事故を考える時、忘れてはいけない事。

 原子力発電所の事故を住民の視点から見るとき、忘れてはいけないことがあります。
 住民は経済的な理由だけで原子力発電所を受け入れていたのではありません。安全だと言う、国と東京電力を信用していたのです。

 まず、経済的な側面を見ましょう。 
 福島県は近世以降、首都圏(江戸)に農産物、海産物、工芸品、エネルギー、そして労働力を供給してきた地域です。第2次世界大戦で負けた直後は、疎開してきた首都圏の人達を受け入れた事もありました。
 いわきや相馬双葉地域も水産加工品、農産品、木炭、石炭を供給し、大戦間以降は化学工業製品も供給してきました。福島県全体と同じ、首都圏と互恵関係です。

 大きな変化が出たのは、1960年代でした。石炭産業が日本のエネルギー源としての主役から姿を消してしまったのです。木炭も、家庭の熱源から姿を消しました。
 地域経済は大きな柱の一つを失いました。

 いわきでは、1960年代に常磐炭鉱が火力発電所を作って、石炭を燃やし電気にして首都圏にエネルギーを供給したり、巨大な観光施設で雇用を作りました。70年代には、工業団地に工場を誘致しました。200海里で遠洋漁業が大きなダメージを受けたものの、人口減少には歯止めがかかりました。

 しかし双葉地域は、60年代に雇用を大きく確保する産業を育成できず『福島のチベット』と、地元住民が言う状況でした。職を求めて出稼ぎをしたり地域外へ出て行く姿が多かったのです。

 東京電力は50年代は福島県で水力発電を推進し、60年代は原子力発電所建設の準備を進め、70年代に入ると原子力発電所の建設を始めました。福島県は、首都圏にエネルギー供給を再開しました。地域に新しい産業が誕生したのです。
 発電所建設で雇用が生まれ、発電で雇用が維持されました。やがて高速道路が通り、世界的なサッカー施設もできました。出稼ぎしなくてよくなり、地元で就職する事もできて、原子力発電所は、発電開始から40年を経て地域にとって大切な存在となったのです。
 原子力発電所の事故を考えるとき、忘れてはいけないことです。

 もう一つ忘れてはいけないことは、住民に国と東京電力が信用されていた事です。

 70年代に入ると原子力発電に疑問の世論が形成されました。原子力発電は危険だと反対する議論が出て来たのです。住民から見ると、後だしジャンケンのようであり、反対論は玉石混交の議論でした。野球なら外野と言うより、球場の外から野球の試合をじゃまするような議論に見えるものもありました。

 その時、国と東京電力は原子力発電を推進するために、県や発電所立地町村の自治体と住民に、原子力発電所は安全だと説明し説得しました。
 なぜ安全なのか、どうやって安全を維持しているのか、さらに安全性を高めるためどうしているのか、沢山の事を住民に説明し約束しました。国と東京電力が安全性を広報宣伝した内容を、住民はしっかり覚えています。(このとき約束した水準の環境を取り還す事が、事故後の現在、住民が目指す目標です)

 住民は原子力発電所を受け入れるにあたって、経済的な理由だけで決めたのではありません。安全だと言う国と電力会社の説明があったから受け入れたのです。
 原子力発電をめぐる激しい議論のなか、国と東京電力を信用したのです。

 これは国にも東京電力にも、そして住民にも重い事なのです。

 しかし、東京電力は何度も事故のデータを隠したり、報告をすぐしなかったりなど約束を破る事を繰り返しました。そして、違反が指摘されるたび、地元自治体や住民に繰り返さないと約束してきました。
 津波の危険性も、東京電力の社外の国会や地震学者ばかりでなく、自社の社員が国際学会で報告していた事実も明らかになっています。東京電力の言う『想定外』は、知っていながら行動を起こさない、都合が悪いからカウントしないだけの『ご都合主義』とイコールでした。
 そして、今回の事故です。

 この過程を見ると、事故の責任は国と東京電力にあるのでしょうが、本当に国と東京電力だけが100%悪いのでしょうか。
 私たち住民は、国と東京電力に安易に任せ過ぎていなかったのか、信用できない相手を安易に信用してしまったと、反省する余地は全くないでしょうか。須賀川の農民に、原子力発電所事故から避難の途上で亡くなった人々に、私たちは100%被害者だと言いきれるでしょうか。

 広島の原爆記念碑には「あやまちはにどとくりかえしませんから」という碑文があります。
 福島原子力発電所事故の碑文を刻むとしたら、広島と同じような人類の歴史に位置づけて記すべき言葉は何か。

 しかし、今はとにかく先に進まなければ、住民に未来はありません。
 未来は過去からやってきます。そして、過去は未来によって変える事ができます。
 感謝すべき事からも不愉快な事からも目をそらさず原子力発電所と事故を直視し、何故こうなったのか、どこに向かうべきか、互いに自立した主体として、原点を確認して歩み出すべきだと思います。

 (馬上 雅裕)

2011年5月3日火曜日

校庭の放射線量は『年間5ミリレム』を中間点、ゴールは事故前の数値に。

  いわき市では『アトムふくしま』という広報誌が隣組の回覧板に2カ月に1度入ってきます。福島県と原子力発電所立地町と隣接市町村が、原子力広報のために発行している冊子です。1つの隣組に1冊ですから、いつも急いで読んでいます。
(いわき市北部の久之浜地区と四倉地区は各家庭に1冊配布のようです)

 『アトムふくしま』には「年間5ミリレム」という数字と単位で表記された放射線の解説が何度も何度も出ていました。
「原子力発電所から敷地外に出る放射線は、年間5ミリレムで、実際にはそれよりずっと低い」と言う解説です。

 国と東京電力は、住民に30年にわたって原子力発電所の敷地外に出る放射線を年間5ミリレム以下に抑えますと言い続けてきました。

 ですから、年間5ミリレムは国と東京電力が住民と約束していた数字です。現在は単位がシーベルトになって、5ミリレムは0.05ミリシーベルトです。

 国と東京電力には『年間5ミリレム』を守る責任も義務もあります。(もちろん、県も市町村などの原子力発電所周辺自治体にも責任があります)
 このことから考えれば、学校の校庭が年間20ミリシーベルトなど住民には受け入れられない数字です。

 郡山市で校庭の表土を削り取って放射線量を低くする作業を行ったことに対する、枝野官房長官の「必要はない」とのコメントは、原子力発電所周辺住民には妄言としか思えません。

 腹が立つより、唖然としてしまいました。

 ネットでICRPの資料を見たら、校庭の年間放射線の基準として政府が提示した年間20ミリシーベルトは、職業被ばくの実効線量です。女性が妊娠しているときは年間2ミリシーベルトです。また、一般人が一生の間に受ける放射線量当量限度100ミリシーベルトの5分の1を、たった1年で浴びる数値です。(医療などで受ける放射線を除く)

 年間20ミリシーベルトという放射能汚染は過酷で、福島県の年少者に受け入れさせるのは「人道に反する」と非難する学者がいるのもあたりまえです。

  そこで提案です。福島県の住民は国と電力会社が原子力発電所周辺自治体の住民に約束してきた『年間5ミリレム(0.05ミリシーベルト)』を校庭の放射線の中間目標値として要求しましょう。(今年は暫定値として2ミリシーベルトか1ミリシーベルトに妥協するのもやむをえないと思いますが)

 ゴールは『年間0.05ミリシーベルトよりずっと低い、事故前の放射線の数値』です。

 また、これから福島県民は原子力広報誌『アトムふくしま』で住民に示していた自然放射線量の数値を早急に達成することを中間目標にし、事故以前の数値に戻すことをゴールにするよう頑張りましましょう。 

 たとえば食物からの被ばくでは、原子力発電所が事故を起こす前に住んでいた土地に住み、その地域で採れた農林産物、その地域の草を食べて育った牛や馬などの畜産物、そしてその地域の海、川、湖沼で獲れた水産物だけを食べ、その地域を水源とする水だけを飲んで生活しても、「食物から年間0.29ミリシーベルト」(『アトムふくしま』より)であることを中間目標値とし、ゴールは『事故前の数値』です。
 
 福島県や原子力発電所周辺自治体は、住民に発電所から年間5ミリレム(0.05ミリシーベルト)しか放射線を受けないからと、30年も伝えていました。それを上回る放射能汚染が起きてしまった現実を直視してください。
 これまでず〜っと広報宣伝していた原子力発電所が放出する年間線量を5ミリレム(0.05ミリシーベルト)にするために、福島県や原子力発電所周辺自治体は、国と東京電力に誠実に汚染除去するよう強く働きかける責任があります。

 原子力発電所事故のどさくさまぎれで原子力委員会や内閣が知らん顔をするのを、『アトムふくしま』をず〜っと読んでいる福島県の住民は見逃せません。(繰り返しますが、福島県や原子力発電所周辺自治体にも住民に対して責任があります)

  (馬上 雅裕)