2011年9月29日木曜日

ノウハウもない環境省の不当な施策は、ザル法で守られる。

除染の基準を環境省が示した。 年間5ミリシーベルト以上しか除染しない。それ以下は、勝手にどうぞ、知りませんという内容だ。

心配していた通りの展開をしている。ちょっとだけ除染すればOKの、核と向き合う理念もない、役人へ丸投げするだけの除染法が動き出した。

 こんな法律を作って、政治家は恥ずかしくないのだろうか。

国会議員は、ザルで水を掬う程度の思考しかしないものなのだろうか?

 国会議員が、環境省の役人に舐められているのを見るのは、愉快なものではない。

たぶん、環境省の役人は『通産の尻拭いを、どうしてこっちでしなけりゃならないんだ。厚生だって、むにゃむにゃ言って後は、知らん顔してる。文部科学もいまだに出来ない事をホームページに出し続けてる。注)ほんと、割にあわないやっかいなお荷物だ』と考えて、いいかげんなのかもしれない。

でも、環境を放射能で汚染された住民にとっては、真剣にやってもらわなければならない仕事なのだ。

注)文部科学省では、「原子力発電所周辺の放射線量目標は0.05ミリシーベルトですが、実際にはもっと下回っています」と住民へ施策の理解を求める広報をしている。国が住民に対して行っている約束だと解釈できる。
約束は守ってもらわなければ困るが、今回の環境省が持ち出した基準の年間5ミリシーベルトは、文部科学省PRの約100倍も緩い。
省は違っても、住民から見れば同じ国(中央政府)が言っている事だ。環境省にも、守る義務と責任はある。


『放射性物質:除染の線引き 説明会で反発の声相次ぐ』 福島  (毎日新聞 2011年9月28日 22時07分)

「毎時0.99マイクロシーベルト)以上の地点を優先して除染費用を国が支援する」との線引きを決めたことに対し、同省が28日福島市内で開いた市町村の担当者向け説明会では反発の声が相次いだ。国は5ミリシーベルト未満の除染を基本的に市町村の自己負担としており、既に除染計画を策定した自治体からは「国は現状を知らなすぎる」と厳しい声が上がった。

国は市町村に対し、年間1-20ミリシーベルトの地域について除染計画を策定するよう求めている。環境省はこのうち5-20ミリシーベルトの地域について、家屋洗浄、表土除去、道路の路面洗浄などの「面的な除染」を国が支援するとしている。しかし県内の大半を占める1-5ミリシーベルト未満の地域については、国の支援は側溝や雨どいなどの洗浄に限り、その他は市町村の負担としている。

除染に関する国の市町村への支援枠は約1800億円。同省はこの日の説明会で「限られた予算の中で優先順位を決めた」と理解を求めた。しかし、2年間で市全域を毎時1マイクロシーベルトまで低減させる除染計画を27日に公表したばかりの福島市危機管理室の担当者は「現場の意識とかけ離れている」と怒りをにじませた。「環境省が示した基準以下の地域でも、局地的に線量が高い所がある。面的に除染をしないと低減目標に届かない」
国が基本的に面的な除染は必要ないとした年間5ミリシーベルト未満の地域についても、福島市は面的な除染を行う予定だ。担当者は「財政支援が行われるよう、国に確認したい」と話した。

除染の線引きに批判が集中したことについて、福島県を訪れていた松下忠洋副経済産業相は報道陣に「作業を始めればうまくいかない場合も出てくる。その時は相談しながら対応したい」と述べた。===【種市房子、町田徳丈、結城かほる】毎日新聞 2011年9月28日 22時07分

「除染ノウハウ、環境省ない」 東大・児玉教授が指摘 ==朝日新聞 2011年9月14日22時38分

福島県南相馬市で放射性物質を取り除く除染作業に取り組む児玉龍彦・東大教授が14日、超党派の勉強会で講演し、政府内で除染の事業を主導する環境省について「ノウハウが全くない」と指摘。
「民間の専門家による第三者委員会を設け、除染の対象や基準を定めるべきだ」と主張した。
野田政権は除染によって出る放射能汚染の土壌について、各地区ごとの仮置き場に集めてから中間貯蔵施設に移す方針を示している。だが、児玉教授は「中間貯蔵施設に移すことは住民感情からほとんど不可能。その場での処分しか考えられない」と語った。 

2011年9月14日水曜日

東電の勝俣会長が、アッカンベー!

悲惨な原子力発電所事故を解明する手がかりとなる事実が出てきたが、東電会長は記者に向かってアッカンベーをした。

AERA2011年9月19日号の『津波予測「不作為」の大罪』(大鹿靖明 記者)を読んで、暗然とした気分になった。

記事によると、東電は2011年8月24日になって、08年に巨大津波の想定をしていたと明らかにした。

東電では2008年4月に国の「長期評価」をもとに、遡上高15メートルの津波が来ると試算していたが、原子力安全・保安院の小林勝耐震安全審査室長には2011年3月7日まで報告していなかった。また、3月7日の報告には10メートルを越えるシミュレーション結果だけで、計算式や対策は無かった。

大津波を想定していたのに、震災後、東電の清水正孝社長(当時)や武藤栄副社長(当時)は記者会見で「想定外の津波」と繰り返していた。

大鹿記者が8月30日に東電の勝俣恒久会長の自宅を訪ねて、問いただすと、
「聞いてないよ」

9月1日に再訪して聞くと、激高して
「そんなん……関係ない!」
彼は振り向きざま私(大鹿記者)にアッカンベーをして、1億2千万円を借りて建てた豪邸に消えた。


悲惨な原子力発電所事故を解明する手がかりとなる重大な事実が出てたきたが、それを問うAERAの記者に、東電会長はアッカンベーをしたようだ。