2011年7月17日日曜日

東京電力が福島県の震災瓦礫を放射能で汚染したのだから、汚染瓦礫は国と東京電力のものである。

 放射能汚染瓦礫は、東京電力と国のものであり、自治体のものではない。

 汚染されていない瓦礫は、自治体に責任がある。
 しかし、東京電力が放射能で汚染したものは、東京電力と国が責任をもたなければならない。
 国と東京電力が処理すべきで、自治体が責任を持たされるような事をしてはいけない。

 環境省は、 被害を受けている自治体に放射能汚染瓦礫処理を行わせようと画策し始めたと思ったら、
 今度は、除染装置のない焼却炉でも焼却することもできると、基準緩和を言い出した。

 放射能汚染瓦礫を、除染設備のない焼却炉でも燃やせるとか、
 汚染瓦礫などの埋設基準を8千bq/kg→10万bq/kgと緩めている。
 
 環境省にはかなり優秀スタッフがいて、
 放射能汚染瓦礫処理については、被害地域住民の理解など不要と考えているような、
 自信過剰で、やりたい放題の役所かもしれない。

 スタッフが自信過剰だと、
 焼却できる埋設できるとは言ったが、やるかどうかは自治体の責任。
 実施結果は自治体の責任だから、環境省は関知しません、
 と、梯子をはずすような事を言い出しそうだ。

 だから、もし、自治体が焼却を手伝うとしても、
 焼却に伴う放射能2次汚染の責任は、東京電力と国が持つよう、
 環境省に確約をとる必要がある。

 放射線モニタリング
 健康調査
 焼却場周辺土壌調査などの環境の放射能汚染調査
 農作物や海産物汚染調査を、
 国と東京電力の費用で、焼却開始前に行い、

 さらに、焼却後の環境汚染がどれだけ進むか監視しなければならない。

 さらに、健康被害の予測を立て、
 危険になったら処理を止める基準や、
 それでも健康被害が発生した場合の認定や補償などについて、
 国と東京電力に確認しておく必要がある。

 もちろん、焼却開始後の監視に要する費用も、国と東京電力が持たなければならない。

 環境省が基準を10倍以上甘くしたのだから、
 自治体から要求する基準は10倍以上厳しくしなければ釣り合わない。

 国が言ったから安全だろうなどという態度は、
 原子力発電所の事故でこれほど東京電力と国によって放射能汚染され、
 被害を受けている自治体がとるべきでない。

 環境省が小出しにしている放射能汚染瓦礫処理策には、長期的な視点が欠落している。
 政策のプロ集団とは思えないような、場当たりの方策だ。 
 
 汚染放射能による2次汚染を防ぎながら、
 地域全体の放射能汚染をどう低減するか、
 健康被害の発生をいかに予防するか、
 住民とどう向き合うかなどの施策や、それらを支える理念も見えない。

 自治体は、縦割り行政の狭い視野の環境省の方策に乗らず、住民の健康を守る側に立たなければならない。

2011年7月8日金曜日

いわき市の瓦礫 セシウムの沸点 責任

放射性物質に汚染された瓦礫処理について、
いわき市が住民代表へ説明会をしたとの記事が、
7月8日の朝日新聞福島県版に出ていた。

セシウムの沸点は摂氏671度だ。
燃焼によって気化する。

焼却場の排気からの放射能ガスを、
健康被害が発生しない水準まで、除去できる自信があるから、
いわき市は焼却処理するのだろう。
排気拡散は広範囲になる。

いわき市は責任を持って、市民に健康被害がないようにしてほしい。

住民代表に選ばれた人も、
昨日実施されたという説明に対して
しっかり判断をしてほしい。
理解や納得ができないなら、NOと言って欲しい。

住民の健康への責任は重い。

いわき市は、
どの程度汚染された瓦礫を、
いつ、どれだけ、どんな条件で焼却したかのデータを、
公開してほしい。

放射能汚染対策には情報公開も大切だ。

2011年7月3日日曜日

請戸の田植踊りと吉野ヶ里

福島県浪江町には伝統芸能の『田植踊り』がある。

8月に郷土復興のための公演をいわき市で行うために、
浪江町請戸の『田植踊り』の練習を、
避難先の二本松市で始めたと福島民友新聞に載っていた。

伝統芸能の『田植踊り』を、異郷で行うため異郷で練習している。
今、請戸地区は隣町にあった原子力発電所事故のため立ち入り禁止区域になっている。

農民で市井の民俗学者でもあった故和田文夫さんと一緒に、浪江町に行ったことがあった。

「『田植踊り』があるのは寒冷地で、稲作で冷害が多かった地方に残っている。いわき地方にはほとんどなくて、双葉や相馬地方にはある。『田植踊り』には厳しい自然に向きあう人達の祈りがある」
和田さんはそう話していた。

浪江町には阿武隈高地から太平洋に流れ込む請戸川がある。
雪や雨は、地下にもしみ込んで伏流水になり、浪江町で湧き出す。
浪江の名水だ。

この名水を使う酒蔵が昔からあり、製薬会社は栄養ドリンクを作っていた。
滋養のある水は太平洋に流れ込んで、沿岸は豊かな漁場になっていた。

浪江町は東北電力が原子力発電所の建設予定地にしている。
計画が発表されて30年が過ぎたが、建設には地元の反対が強く、
今だに建っていない。

隣接している双葉町は原子力発電所を誘致し増設を求めたが、
浪江町は原子力発電所を建設させなかった。
しかし、隣接した二つの町を放射能汚染は区別しない。

地域のために原子力発電所を積極的に誘致した町だけでなく、
地域のために阻止した町にも惨禍はやってきた。

同じ新聞紙面には、
国が佐賀県に原子力発電所の再稼働を求めている記事もある。

全電源喪失という原発事故にともなう交通の大混乱を想定すれば、外部応援は期待できない。
配備した電源車の電気で、稼働している原発全機の冷却装置を賄えるのか。

保安院が水素爆発対策とする『ドリル』は分厚いコンクリート外壁を貫けるのか。
コンクリート貫通の所要時間は、
作業の足場や、
貫通予定場所にたどり着く通路は、
ドリルを動かす電源は、
事故の混乱の中で確保されるのか。
そしてなにより、
だれが水素爆発の危険の中で行うのか。

せめて電動と手動の2系統をもつ複数の開閉口を建屋に設置するための、時間と手間を、
国や原子力発電所立地町が惜しんでいる。
国や電力会社、そして地元の町が、自らの安全思想を検証した形跡が見えない。
それを是とする政治家の安全に対する見識は肯定されるべきか否か。

発電所周辺には歴史に育まれたたくさんの町や村があり、
多様な生き方をしている人がいるだろう。
原子力発電所が事故を起こせば、
放射能汚染は、人生をかけて発掘を行った遺跡群『吉野ヶ里』も、丹精込めた農地も、豊かな漁場も容赦しない。
農地に山林に海に宅地に学校に、どの町にも、風に乗り区別なく放射能は降る。

我が町、郷土のための施策が、隣接町村に牙をむき、多くの町村に惨禍をもたらす。

浪江町請戸の『田植踊り』が異郷で奉納する「祈り」の重さを思うと、
報道で伝えられる佐賀県の原子力発電再開をめぐるニュースは、
関係者の動きが軽すぎるとしか思えない。

福島の悲劇が無駄にされるように思えてならない