まちメディアはいわきの生活情報誌です。 2011年3月11日の東日本大震災では、地震、津波に東京電力福島原子力発電所の事故が加わり、この地域は大きな困難に直面しています。この状況を個人としてどう考えているのか書く必要があると思い、編集長ブログを立ち上げます。
2012年7月20日金曜日
電力会社の原子力事業関係者の、原発事故に対する考えの軽さに驚きました。
政府がエネルギー政策で国民の意見を聴く名古屋の意見聴取会のニュースで、原子力事業関係者が「今回の事故で放射能で死んだ人は、疫学的にはいないし、将来的にもいないはず」との発言をしていました。
原子力事業関係者の原発事故に対する考えの軽さ、程度の低さ浅さに驚きました。
疫学的な判断は1年や2年ではできない話で、結論を得るには数十年から十数年を要します。疫学的結論が出るのは、被害が確定した後です。
だから、百数十万人にのぼる福島原発事故による被爆者に、いま疫学的な話を適用するのは不適切です。
また将来も、放射能被爆での死者はないと無条件で言い切るのは、楽観的すぎます。
今回の事故で、東電の原発が発電所外に放出した放射能汚染の核種の質量は、放射性セシウムが4332g、放射性ヨウ素131は32.7gです。『放射能除染の原理とマニュアル』(藤原書店 p22-p25)
これだけ大騒ぎになっているに、原発外に放出された核種はわずか4.2kgほどの重さしかありません。
一方、東電福島第一原発の壊れた原子炉の中には数トンの核燃料などの放射性物質が存在しています。
これから数十年かけて、安全な場所に移し安定的な管理が可能な状態にしなければならないのですが、現在、壊れた炉での作業は始まっていません。
高線量被爆リスクが高い大変な作業はこれから始まり、長期間行われます。
それなのに、「将来的にも放射能による死者はいない」と断言するのは、あまりに楽観的で近視眼的です。日本の原子力事業関係者が、いまだに、このような緊張感の無い発言しているのは、反省が足りないのではないかと危惧してしまいます。
また原発事故では、放射能だけが命を奪うのではありません。
原発事故に直接対応した電力会社と政府が慌てうろたえて、住民の避難をきちんとできなかったため、多くの人が、原発事故にともなう混乱のなかで死亡しています。
原発事故は病弱者や高齢者の健康を奪い、汚染地域の農業者の希望を奪って死に追いやりました。
原発事故の被害は広範囲です。
原子力事業関係者の発言は『原発事故は被爆死亡者が出なければ許される』という、とんでもない主張にも聞こえ違和感を抱きました。
最近、横浜に行ったいわき市の人が、「レストランに入ったらメニューに『当店では福島県の食材は一切使用していません』と書いてあって、とてもショックでした」と話していました。
福島県産の食材はサンプリング調査で安全基準を満たしている場合だけ、出荷しています。また、横浜で「放射能による死者は出ていないはず」です。
でも、東電原発事故の内外被爆による健康被害の疫学的結論はまだまだ出ないので、福島県の食材生産者は、根拠の無い中傷で営業妨害だと、横浜のレストランに抗議できません。
この小さな悔しい現実も、原発事故が引き起こしている数えきれないほどたくさんある被害のなかの一つです。
彼のような軽い考えの原子力事業関係者は(全てではないのでしょうが)、被害地域の住民や原発事故現場の危険な最前線で働く人の姿は見えない意識構造をしているのだと、あらてめて思い知らされました。
東電がレベル7の事故を起こしたのに、いまだに、こんな発言をする幹部がいる原子力業界は、かなり危うい存在です。
原発20%-25%を支持する原子力事業関係者の、意見の程度が低く浅く軽いのが良くわかる発言でした。
2012年7月2日月曜日
7月2日に大飯原発3号機が臨界に達した。福井県とおおい町の覚悟はできているだろうか。
大飯原発3号機4号機の再稼働に加担している福井県とおおい町の態度は、エゴである。
多くの安全対策不備が指摘される中、東日本大震災より大きな天災はないだろうと、運を天にまかせる運転をうけいれた。
事故による水源の琵琶湖や内海の日本海汚染のダメージは、東京電力の福島原発事故の比ではない。東京電力のこれだけの原発事故を見て、なお、周辺自治体への迷惑を軽く見ている。
国や電力会社と一緒になって、多くの国民が反対し疑問を投げかける原発再稼働のありかたを是とし、福井県とおおい町は拙速な再稼働に加担している。
原発利権の一部にありつこうと焦る姿は、事故が起きるか否かにかかわらず、醜悪と言うしかない。
福島県のケースとは違い、これから事故が起きたら福井県とおおい町は明確な加害者だ。
「安全神話に騙された」「国が安全だと言った」などの言い訳や泣き言は、ほとんど出来ない立場だと覚悟すべきだ。
福井県は関西圏への原発での電力供給に感謝しろと国に要求した。しかし、暴力による強制がなければ、経済行為はお互いさまだ。原発の経済関係は共存共栄で、福井県でも福島県でもどこでも、一方的な犠牲はない。
今回のような破滅的な汚染事故や救済対象と認められない健康被害、処理困難な汚染物質の押し付けでバランスが崩れる。だから、決して安全と最終処分を安売りしてはいけない。全てを失いかねないからだ。
福井県もおおい町も、事故や最終処分問題で、経済外強制が発生しない間は、大きな顔をしてはいけない。電力会社や電力消費地に感謝しなければならないのだ。
福島県富岡町の遠藤町長は「町民は全てを失った」と、6月29日に謝罪に来た東電の会長と社長に対して語った。富岡町の遠藤町長の悲痛な発言でさえ、近隣自治体の住民としては複雑な気持ちを抱いて聞く。
福島県や立地自治体は安全保障で緩みがあった。馴れ合いや依存があり、安全に対する思考停止があった。それを一方的に電力会社や国の責任にするのは、違和感がある。福島県の私達は、被害者であるけれど、同時に加害者でもある。加害者グループの一員なのだ。
もし原発事故で『おおい町民は全てを失った』としても、自ら招いたと考える人は、福島のケースより圧倒的に多くなるだろう。不備や危険を指摘され警告され、それでも進んで受け入れたからだ。福井県やおおい町のような加害側自治体を税金で全面的に救済するのは疑問だと、指弾する論陣に、私は加わるつもりだ。
お客様や隣近所への迷惑より、自分の米櫃を満たす事を優先した。消費地や近隣自治体の住民を敵に回した。これからは、そう見られると福井県とおおい町は覚悟してほしい。
フクシマ以前と以後で、原発立地地域への視線は変化している。これまでと同じではない、厳しくなっている。立地自治体の責任が問われる。
「福井の本気すごいです」の声 大飯原発再稼働反対 福井で集会&デモ
原発立地自治体の立場は、微妙で複雑だ。
多くの安全対策不備が指摘される中、東日本大震災より大きな天災はないだろうと、運を天にまかせる運転をうけいれた。
事故による水源の琵琶湖や内海の日本海汚染のダメージは、東京電力の福島原発事故の比ではない。東京電力のこれだけの原発事故を見て、なお、周辺自治体への迷惑を軽く見ている。
国や電力会社と一緒になって、多くの国民が反対し疑問を投げかける原発再稼働のありかたを是とし、福井県とおおい町は拙速な再稼働に加担している。
原発利権の一部にありつこうと焦る姿は、事故が起きるか否かにかかわらず、醜悪と言うしかない。
福島県のケースとは違い、これから事故が起きたら福井県とおおい町は明確な加害者だ。
「安全神話に騙された」「国が安全だと言った」などの言い訳や泣き言は、ほとんど出来ない立場だと覚悟すべきだ。
福井県は関西圏への原発での電力供給に感謝しろと国に要求した。しかし、暴力による強制がなければ、経済行為はお互いさまだ。原発の経済関係は共存共栄で、福井県でも福島県でもどこでも、一方的な犠牲はない。
今回のような破滅的な汚染事故や救済対象と認められない健康被害、処理困難な汚染物質の押し付けでバランスが崩れる。だから、決して安全と最終処分を安売りしてはいけない。全てを失いかねないからだ。
福井県もおおい町も、事故や最終処分問題で、経済外強制が発生しない間は、大きな顔をしてはいけない。電力会社や電力消費地に感謝しなければならないのだ。
福島県富岡町の遠藤町長は「町民は全てを失った」と、6月29日に謝罪に来た東電の会長と社長に対して語った。富岡町の遠藤町長の悲痛な発言でさえ、近隣自治体の住民としては複雑な気持ちを抱いて聞く。
福島県や立地自治体は安全保障で緩みがあった。馴れ合いや依存があり、安全に対する思考停止があった。それを一方的に電力会社や国の責任にするのは、違和感がある。福島県の私達は、被害者であるけれど、同時に加害者でもある。加害者グループの一員なのだ。
もし原発事故で『おおい町民は全てを失った』としても、自ら招いたと考える人は、福島のケースより圧倒的に多くなるだろう。不備や危険を指摘され警告され、それでも進んで受け入れたからだ。福井県やおおい町のような加害側自治体を税金で全面的に救済するのは疑問だと、指弾する論陣に、私は加わるつもりだ。
お客様や隣近所への迷惑より、自分の米櫃を満たす事を優先した。消費地や近隣自治体の住民を敵に回した。これからは、そう見られると福井県とおおい町は覚悟してほしい。
フクシマ以前と以後で、原発立地地域への視線は変化している。これまでと同じではない、厳しくなっている。立地自治体の責任が問われる。
「福井の本気すごいです」の声 大飯原発再稼働反対 福井で集会&デモ
原発立地自治体の立場は、微妙で複雑だ。
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