9・19「さようなら原発 5万人集会」で語られた言葉は、真直ぐに心に響く。
その通りである。 発言要旨9・19「さようなら原発 5万人集会」
大江健三郎さん、落合恵子さんなど有名人も呼びかけた原発をなくそうという集会だ。
全国から6万人が集まったとの主催者発表だった。一人ひとりの意思表示は尊い。福島県からも多くの人が参加した。
しかし、違和感もある。
集会では語られず、素通りされた放射能汚染物質の最終処理策の問題。
放射能汚染を引き受けようという意志のない、集会参加者の姿に違和感を覚えた。
集会でのメッセージを読むと、だれも放射能汚染物質の最終処分場を引き受けようと発言しなかった。原発事故の収束の最終的策を、他人事のようにしか考えない姿がそこにある。被害者として声を上げた福島県からの参加者も同列だ。
私達が直面している最終処分や廃炉は、推進派も反対派も脱派もさよなら派も関係なく、現在原子力発電所の電気を利用している全ての人の問題として、厳然と存在している。
集会参加者のアピールからは、問題の解決を他人に押し付ける頑なな姿と、正面から向き合わない無責任を感じる。事故処理の最終問題を深く考えず底が浅い。
過酷な福島第一原子力発電所事故を経験しているのに、体験の深化を反映しないのは、いったい何故だろう。
せめて、文学者として集会を呼びかけた大江健三郎さんだけでも『私たち一人ひとりが、自分の住んでいる場所に、放射能汚染物質の処分場を引き受けるために立ち上がろう』と語るべきではなかったのか。
膨大な放射性物質と放射能汚染物質の存在を、他人事のようにしか考えない6万人の姿から新たな未来への展開は見えない。
膨大な放射性物質と汚染物質は、私たちの問題でもあるという痛切な深省がない。
「トイレの無いマンション」と、都会人らしい表現で原発の限界を語る人々の言葉にも同じ根深い病根がある。
「本土で基地移設を君は語るが、その前に、私達の頭を踏みつけている君の足をどけて欲しい。」
雑誌にあった沖縄県民の言葉だ。
基地移設を脱原発に置き換えると、本土と沖縄、関東と福島の関係が同じ状況であることを表す文章になる。
沖縄で基地に苦しむ人達が、本土で平和を旗印に深省なく反基地を語る人に対するのと同じ思いを抱く。
まちメディアはいわきの生活情報誌です。 2011年3月11日の東日本大震災では、地震、津波に東京電力福島原子力発電所の事故が加わり、この地域は大きな困難に直面しています。この状況を個人としてどう考えているのか書く必要があると思い、編集長ブログを立ち上げます。
2011年10月12日水曜日
2011年10月7日金曜日
大熊町役場2階にて=福島原発の真実は、ここにもある。
20年ほど前、大熊町役場に行った時の話しです。
役場の2階で人を待っていると、正面にあるカウンターのむこうで職員が大きな声で話しているのが聞こえてきました。
周囲を気にしない声の大きさと話しの内容が、バランスを欠いていたので印象に残りました。
話し手は、町の職員でした。
「東電の社員は、スケールが大きい。我々の物差しでは計れない」
「調べに行ったら、東電は悪いとすぐ認めた。それから、『やった事は無い事にできない。だから町では、会社に幾ら金を出させるか考るのが大切だ』と言う。東電の社員は、本当にスケールがでかい」
要するに、東電が町との約束を守らない事をして、大熊町の職員が調査のため東電社員に会いに行ったら、「これをネタに、いくら金を要求できるか考えなさい」と東電の社員にアドバイスされた。それは予想外の話しで、『東電社員のスケールは、我々とは違う』と何度も言って、感心しているのでした。
大きな声で話せる内容かと神経を疑いましたが、周囲を気にせず話していました。
大熊町にある東電の施設は、原子力発電所関連です。
原子力発電所で起きる深刻な事故は、お金では解決しないものです。
深刻な事故は、ある日、突然起きません。小さな事故の積み重ねの中から起きてきます。
その職員は、違反を『金』で解決しようとする東電社員に対して、疑念や違和感ではなく、『スケールが違う』と尊敬の念を抱いたようでした。
原子力発電所のある町は深刻な事故に向かう弛みを、日常の中で小さな積み重ねの中で、東京電力と一緒に作っていたと思うのです。
県や町は、何があったか全部吐き出さないと、未来に安全はないと思います。
安全が無ければ、原子力発電所の未来もありません。
原子力発電所事故で、電力会社や国、県、市町村が問われているのは、自浄する力です。
人類にとっての核という視点から見れば、脱原発路線に転換するにしても、維持するにしても、問いに答える責任はどちらにもあります。
役場の2階で人を待っていると、正面にあるカウンターのむこうで職員が大きな声で話しているのが聞こえてきました。
周囲を気にしない声の大きさと話しの内容が、バランスを欠いていたので印象に残りました。
話し手は、町の職員でした。
「東電の社員は、スケールが大きい。我々の物差しでは計れない」
「調べに行ったら、東電は悪いとすぐ認めた。それから、『やった事は無い事にできない。だから町では、会社に幾ら金を出させるか考るのが大切だ』と言う。東電の社員は、本当にスケールがでかい」
要するに、東電が町との約束を守らない事をして、大熊町の職員が調査のため東電社員に会いに行ったら、「これをネタに、いくら金を要求できるか考えなさい」と東電の社員にアドバイスされた。それは予想外の話しで、『東電社員のスケールは、我々とは違う』と何度も言って、感心しているのでした。
大きな声で話せる内容かと神経を疑いましたが、周囲を気にせず話していました。
大熊町にある東電の施設は、原子力発電所関連です。
原子力発電所で起きる深刻な事故は、お金では解決しないものです。
深刻な事故は、ある日、突然起きません。小さな事故の積み重ねの中から起きてきます。
その職員は、違反を『金』で解決しようとする東電社員に対して、疑念や違和感ではなく、『スケールが違う』と尊敬の念を抱いたようでした。
原子力発電所のある町は深刻な事故に向かう弛みを、日常の中で小さな積み重ねの中で、東京電力と一緒に作っていたと思うのです。
県や町は、何があったか全部吐き出さないと、未来に安全はないと思います。
安全が無ければ、原子力発電所の未来もありません。
原子力発電所事故で、電力会社や国、県、市町村が問われているのは、自浄する力です。
人類にとっての核という視点から見れば、脱原発路線に転換するにしても、維持するにしても、問いに答える責任はどちらにもあります。
2011年10月6日木曜日
『しあわせ運べるように』
『しあわせ運べるように』 作詞・作曲 臼井 真
公式サイトhttp://www.shiawasehakoberuyouni.jp/
阪神から東北へ
神戸の子どもたちが歌う東北へのメッセージソング
http://asahi.co.jp/kodomoshien/
(書籍計208ページ+CD7曲収録)
定価:1600円(税込)
2011年10月2日日曜日
『福島原発の真実』は、ここにもある。
1997年に郡山市が東京電力に30億円の寄付を要求して、受け取っていたとの報道があった。
東京電力がサッカー場を郡山市に造ると言っていたのに、Jヴィレッジを楢葉町に寄付して、郡山市に造らない事を理由に30億円要求したという内容だ。
こういう行動は、何と言えばいいのだろうか。
タカリ?ユスリ?
30億円は、東京電力管内で電気を使い料金を支払っている住民が負担している。
郡山市は、恥ずかしいと思わないのか。
「福島原発の真実」の、もう一つの顔がここにある。
今回の原子力発電所事故の原因の一つは、モラル欠落だと思うが、福島県民の一部も加担してるのだ。
郡山市は、東京電力に30億円を返して、原発事故対応の資金にあててもらうべきだ。
被害者は、単純な被害者ではなく、同時に加害者でもある苦い事実から視線をそらず、見つめなければならない。
東電に苦情・寄付要求の連鎖 「Jヴィレッジ」契機 ==朝日新聞2011年9月17日3時1分
東京電力が大規模サッカー施設を福島県に寄贈したことをきっかけに苦情や多額の寄付要求が相次いだため、東電が同県郡山市、新潟県柏崎市、刈羽村に計130億円分の寄付をしたことが分かった。そのうち郡山市には寄付の名目がたたないため、県所管の財団をトンネルに使って渡していた。原発マネーへの依存が連鎖し、不明朗な手法も使われた実態が明らかになった。
東電は1997年6月、福島第二原発がある福島県楢葉町などに130億円でサッカー施設「Jヴィレッジ」を建設し、同県に寄贈。その後、郡山市に30億円、柏崎刈羽原発がある柏崎市と刈羽村にそれぞれ60億円分と40億円分の寄付をした。
郡山市元幹部によると、東電は93年ごろ、同市に屋根付きのサッカースタジアムを造るという計画を持ちかけてきたという。だが東電はその後、計画の中止を市に通告。楢葉町などにJヴィレッジを建設する構想を発表した。
市側はこれを受け、「約束を反故(ほご)にした。おかしいじゃないか」と東電に苦情を言った。スタジアム建設のために、市は都市計画を変更することを検討していたという。やりとりする中で、東電は寄付の意向を市へ伝えたという。
東電は市への直接寄付を拒否し、県全体への寄付の意味合いになることを希望した。東電関係者は「原発の立地自治体ではない郡山市に寄付する根拠に乏しいという事情があった」と話す。市側はこのため、県所管の財団法人「福島県青少年教育振興会」経由で寄付を受け取ることを提案したという。同振興会は市役所内にあり、市内での活動が中心だ。東電が同意したため、30億円の寄付が99年に実行された。寄付金は、市の「ふれあい科学館」の施設整備費にあてられた。
当時の郡山市長の藤森英二氏は「寄付は市へのおわびの意味合いがあったのかもしれない。財団を通したのは、郡山市への直接寄付を避けたい東電の意向と合致した」と話している。
一方、福島県にJヴィレッジの寄贈があった97年、新潟県の柏崎刈羽原発で7号機が7月に完成し、すべての建設計画が完了した。市元幹部らによると、柏崎市は、東電に完成のお礼として寄付を要請。この際に意識していたのは、Jヴィレッジの総工費130億円で、「うちも100億円規模」と考えたという。金額の希望は、関係者を通じ東電に伝わるようにした。
これに対し、刈羽村も東電に村独自の寄付金を希望した。東電は調整した結果、100億円の寄付予算を柏崎市と刈羽村に6対4の割合で配分。柏崎市には07年に建設した公園とその維持管理費、刈羽村には10年に運動施設建設費などを渡した。
東京電力広報部は「相手先もあるので、寄付の経緯については、答えを差し控える」としている。(野口陽、藤森かもめ)
東京電力がサッカー場を郡山市に造ると言っていたのに、Jヴィレッジを楢葉町に寄付して、郡山市に造らない事を理由に30億円要求したという内容だ。
こういう行動は、何と言えばいいのだろうか。
タカリ?ユスリ?
30億円は、東京電力管内で電気を使い料金を支払っている住民が負担している。
郡山市は、恥ずかしいと思わないのか。
「福島原発の真実」の、もう一つの顔がここにある。
今回の原子力発電所事故の原因の一つは、モラル欠落だと思うが、福島県民の一部も加担してるのだ。
郡山市は、東京電力に30億円を返して、原発事故対応の資金にあててもらうべきだ。
被害者は、単純な被害者ではなく、同時に加害者でもある苦い事実から視線をそらず、見つめなければならない。
東電に苦情・寄付要求の連鎖 「Jヴィレッジ」契機 ==朝日新聞2011年9月17日3時1分
東京電力が大規模サッカー施設を福島県に寄贈したことをきっかけに苦情や多額の寄付要求が相次いだため、東電が同県郡山市、新潟県柏崎市、刈羽村に計130億円分の寄付をしたことが分かった。そのうち郡山市には寄付の名目がたたないため、県所管の財団をトンネルに使って渡していた。原発マネーへの依存が連鎖し、不明朗な手法も使われた実態が明らかになった。
東電は1997年6月、福島第二原発がある福島県楢葉町などに130億円でサッカー施設「Jヴィレッジ」を建設し、同県に寄贈。その後、郡山市に30億円、柏崎刈羽原発がある柏崎市と刈羽村にそれぞれ60億円分と40億円分の寄付をした。
郡山市元幹部によると、東電は93年ごろ、同市に屋根付きのサッカースタジアムを造るという計画を持ちかけてきたという。だが東電はその後、計画の中止を市に通告。楢葉町などにJヴィレッジを建設する構想を発表した。
市側はこれを受け、「約束を反故(ほご)にした。おかしいじゃないか」と東電に苦情を言った。スタジアム建設のために、市は都市計画を変更することを検討していたという。やりとりする中で、東電は寄付の意向を市へ伝えたという。
東電は市への直接寄付を拒否し、県全体への寄付の意味合いになることを希望した。東電関係者は「原発の立地自治体ではない郡山市に寄付する根拠に乏しいという事情があった」と話す。市側はこのため、県所管の財団法人「福島県青少年教育振興会」経由で寄付を受け取ることを提案したという。同振興会は市役所内にあり、市内での活動が中心だ。東電が同意したため、30億円の寄付が99年に実行された。寄付金は、市の「ふれあい科学館」の施設整備費にあてられた。
当時の郡山市長の藤森英二氏は「寄付は市へのおわびの意味合いがあったのかもしれない。財団を通したのは、郡山市への直接寄付を避けたい東電の意向と合致した」と話している。
一方、福島県にJヴィレッジの寄贈があった97年、新潟県の柏崎刈羽原発で7号機が7月に完成し、すべての建設計画が完了した。市元幹部らによると、柏崎市は、東電に完成のお礼として寄付を要請。この際に意識していたのは、Jヴィレッジの総工費130億円で、「うちも100億円規模」と考えたという。金額の希望は、関係者を通じ東電に伝わるようにした。
これに対し、刈羽村も東電に村独自の寄付金を希望した。東電は調整した結果、100億円の寄付予算を柏崎市と刈羽村に6対4の割合で配分。柏崎市には07年に建設した公園とその維持管理費、刈羽村には10年に運動施設建設費などを渡した。
東京電力広報部は「相手先もあるので、寄付の経緯については、答えを差し控える」としている。(野口陽、藤森かもめ)
登録:
コメント (Atom)
