2011年12月23日金曜日

野田総理大臣の原発事故収束宣言2日後、原子炉から放射能汚染水漏出!

東電の原子炉が漏出している高濃度の放射能汚染水が、処理システム外に230トンも流出した。

漁民は太平洋の放射能汚染で操業停止状態に追い込まれているが、今後、わづかでも海に放射能が漏出や放出されれば、さらに操業が先に延びる。

被害者の窮状の痛みに鈍感な民主党の野田総理大臣再任中は、放射能を情報をフォローして、鈍感総理に対する怒りの火を絶やさないことにしたい。

2011-12-19 IBTimesより

2011年12月19日、東京電力は福島第一原発において、 集中廃棄物処理施設の地下に貯蔵してあった高濃度放射性汚染水が電線用地下トンネルに流出したことを発表した。16日には野田首相が事故の収束宣言をしたが、またしても放射性汚染水漏れを起こしてしまったことになる。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11121909-j.html


電線用地下トンネルには発見時点で230トンの水が溜まっていた。東京電力ではその水の分析結果より集中廃棄物処理施設の地下の高濃度汚染水が漏れ出し、雨水と地下水が流れ込んだのではないかという見解を示している。

東京電力では、今後、流出した放射性汚染水の水位を確認し対応を検討するとしている。現在のところ、流出したが電線用地下トンネルの方が地下水よりも水位が低いことから、地下水の方へ高濃度放射性汚染水が流れ出す心配は少ないとしている。

2011年12月20日火曜日

福島県知事、野田総理大臣の『事故収束』発言に不快感表明!!

総理大臣の発言が問題になっている。世論は見るべき事を見ている。火事でまだ火も消えていないのに、火は消えたと出火元の家人が宣言した。野田総理大臣の言い訳が、毎度の事だが、これから始まる。

2011-12-18 47NEWSより
 細野氏、「事故収束」の表現陳謝 問題化の可能性も

 東京電力福島第1原発が冷温停止状態に達したとして政府が宣言した 件について、細野豪志原発事故担当相は18日、佐藤雄平福島県知事らとの会談後、記者団に「『収束』という言葉を使うことで事故全体が収まったかのような印象を持たれたとすれば、私の表現が至らず、反省している」と陳謝した。

 野田佳彦首相が記者会見し、国内外に向けてアピールした事故収束の表現が不適切だったと認めるもので、今後問題化する可能性もある。

 佐藤知事は細野氏らとの会談で「収束という言葉自体、県民は『福島県の実態を本当に知っているのか』と思っている」と述べて不快感を示した。


2011-12-19 福島民報より
佐藤知事、政府方針に不快感 ステップ2完了宣言で 

 佐藤雄平知事は18日、枝野幸男経済産業相らとの会談で、政府の東京電力福島第一原発事故の「ステップ2」完了宣言について、「収束との言葉を発すること自体、実態を知っているのかという思いだ」と不快感を示した。
 避難区域の見直しについては、国民の生活権を脅かし憲法に抵触する可能性があるとし「首相が来てしかるべき」と政府の対応を批判した。
 文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会の指針で、県内全域が自主避難などの賠償対象にならなかったことにも言及。「全県民を対象にすべき」として、原子力被害応急対策基金を設ける意向を伝えた。枝野氏は「県として具体的に提案してほしい」と述べ、基金に対し国が財政措置することに前向きな姿勢を示した。
 佐藤知事は会談後、記者団の取材に対し、避難区域見直しに当たって常磐自動車道、JR常磐線の早期復旧も要望したことを明らかにした。

■首長も批判

 18日の三閣僚と関係市町村長との会談では、政府の「ステップ2」完了宣言に対し、首長から「検証する手段がない」「信用できない」などと批判が上がった。
 これに対し、細野原発事故担当相は、来年一月にも首長や議長らによる東京電力福島第一原発内の視察受け入れを検討する考えを示した。

2011年12月17日土曜日

事故の基準を誤摩化す「自己中」政治家=野田総理大臣の「原発事故収束」の詭弁は通るか?

野田総理大臣は、原発被災住民や原発労働者をなめていると思う。

彼は原発事故は収束したと2011年12月16日に発表した。
理由は、原子炉圧力容器や格納容器の温度から冷温停止と判断し、さらに原発周辺への放射線漏出が年間1ミリシーベルト以下の見込みだという。
野田さんの説明は、詭弁だ。

原発事故には評価基準がある。レベル0からレベル7までだ。
原発関係者はレベル0からレベル3までは「事故」とは言わず「事象」としている。
レベル0=尺度以下
レベル1=逸脱
レベル2=異常事象  
レベル3=重大な異常事象

レベル4=所外への大きなリスクを伴わない事故
レベル5=所外へのリスクを伴う事故
レベル6=大事故
レベル7=深刻な事故

東京電力の原発は、「事故」と評価された。放射能汚染や爆発によって所外にリスクを負わせたからだ。

2011-3-12 保安院レベル4と発表  =レベル4は「所外への大きなリスクを伴わない事故」
2011-3-18 保安院レベル5に引上げ =レベル5は「所外へのリスクを伴う事故」
2011-3-25 朝日新聞がレベル6相当と報道する=レベル6は「大事故」
       しかし、保安院はレベル5のまま
2011-4-12 保安院がレベル7と発表 =レベル7は「深刻な事故」

メルトダウンしている原発事故を「レベル4」と評価し発表した保安院を民主党政権は追認したが、
今度は放射能漏出を続けている原子炉や、所外に基準の20倍もの放射線を出す発電所に「事故収束」との認識を示した。

2011-12-16 野田総理大臣=「事故収束」と発表

基準によれば「事故」は所外にリスクを及ぼしている間はずっと続く。
原発が施設外に出してよい放射線量は年0.05ミリシーベルト以下としてきた。1ミリシーベルトは基準の20倍もの放射線量を漏出するから「事故中」である。
東京電力と同じ加害者の立場にある国の責任者の野田総理が、「事故は収束」したなどと、ぬけぬけと主張する「自己中」姿勢は通らない。

今、双葉町と大熊町の原発で働く人は危険な事故処理をしているのであって、普通の原発で業務を行っているのではない。
原発外への放射能漏出は続いているから、原発事故被災住民にも通じない詭弁だ。火事でまだ火が消えていないのに、消えたと出火元の家人が宣言しているようなものだ。

被災住民や原発労働者にとって、野田さんは「事故中」の基準を誤摩化して恥じない「自己中」政治家だ。
基準を絶対変えるなとはいわないが、きちんと変える手続きが必要だし、住民への謝罪と説明も必要だ。
しっかりした記者会見も日頃せず、マスコミから逃げ回っている情けない総理大臣が、ちょこちょこ話す程度で勝手に基準を変えてはいけない。説得力もない。

政治家が一番大切にすべきは『倫理』ではないのか? 
何かの理由があっての事なのか、人格や能力が原因かは分らないが、野田さんはダメな政治家だ。

2011年11月27日日曜日

寂聴さんヒット2本。うち、1本はポテンヒット。

NHKで、瀬戸内寂聴さんが東北地方の被災地で行った説法の様子を放映していた。その中で印象的な場面が2つあった。
 一つは、聴衆の心をとらえた快心のヒット、もう一つは豪快な空振りのあとのポテンヒットだった。

 快心のヒットは『苦』を説いた場面だ。
 津波の被災地で、惜しまれるいい人がたくさん亡くなった。説法を聴きに来た人の中に、家を流され肉親を失った人がいた。
 寂聴さんは「どうしていい人が亡くなるのだろう。いい人が死んで、悪いやつが生き残る。理に合わない。でもそれがこの世だとお釈迦様は言う。『だから、この世は苦だ』とお釈迦様は話した。私たちが生きているのは、そういう世だ。そこで生きなければならない」そう説いた。

 豪快な空振りは、福島県飯舘村の主婦から喫した。寂聴さんのバットが捉えられなかったのは『農村の生活』。仏教の得意範囲もよく見えて、微笑ましかった。
 飯舘村の村民を前にした寂聴さん。硬い表情の聴衆の一人の肩を揉んで、和ませた。
 村民の主婦が「一生懸命やっていた農地がだめになった。生活が奪われた」と嘆いた。
 神道の文脈で聴けば、主婦の「生活」は、「命」と同義語。自然に感謝し、自然に生かされ、自然の一部となって生活する生き方が、日本の「農」だ。だから農地は単なる道具や家財ではないし、人間も自然と切り離される存在ではない。田舎で生活すれば、それは自明だ。仏教の『執着』では、噛み合わない。
 しかし寂聴さんは『執着』で立ち向かった。
 「失ったものはあるが、それは失ってもほかのものがある」と説いた。
 当然、空振りだ。
 
 納得できない主婦は「農村の生活は自然と一緒です。農業が生活でなんです」と2球目を投げ込んだ。
 そこで老練の寂聴さんは「そうだね」と、『無常』で主婦の苦しみを受けとめて、2球目をポテンヒットにした。
 
 寂聴さんが初球で空振りしたのは、村民の苦しみが『地震』や『津波』によるのではなく、『核物質』という人類には付き合いの浅いものが原因だったからだ。住民は地震や津波など自然の苦しみは納得も諦めもできて対処もできるが、『核物質』の苦しみには納得も諦めもできない。

 寂聴さんは初球を空振りしても、快心とはいかないがヒットは打てた。

 だが、住民が前に進むには、住民自身が放つ快心のヒットが欲しい。どうすればいいのか、番組を見ながらそう考えた。

2011年11月26日土曜日

東電社員のみなさんへ質問=あなたは何のために電気を販売しているのでしょう

 2011年6月20日に清水正孝社長(当時)が退任すると表明したときに、東京電力の悪い面を『目線』と答えていました。

 「変えなければならない風土として、地域の皆さま、お客さま、株主、そういった方々への目線、マーケットインの考え方を失いがちなところがあります。そういった傾向が強い。まだまだ、外に向けての目線の高さを指摘されます。お客様志向を徹底する必要があります」
 また良い面は、「電力の安定供給を何が何でもやり遂げる点」を上げていました。

 東京電力は、経営者も社員も労働組合も責任を免れない、『原発事故』という重い罪を地域住民に対して犯しています。この罪に『金』『権力』など姑息な策は通用しません。放射能で地域を汚染している企業犯罪の根本的な償いは、企業再生しかありません。

 しかし東京電力は裁判で、原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。原発事故で排出した放射性物質は汚染された土地所有者のものであり、東京電力に除染の責任はないと主張するなど、原子力発電所運転や原発事故に対する姿は、私達地域住民の目には『狂人が刃物を振り回している』ように映っています。

 そこで、清水正孝社長(当時)の指摘に東電社内に賛否はあるでしょうが、的を射抜いていると考える東電社員のみなさんへ質問します。
 清水正孝社長(当時)は東京電力の良い面は「電力の安定供給を何が何でもやり遂げる点」と話していましたが、みなさんは『何のために、電力の安定供給を何が何でもやり遂げる』のでしょうか。

 経営者は何のために経営しているのか、社員は何のために働いているのか。根源的な問いを自身に問い、自身が答える事なしに再生は無く、償いも許しもありません。
 東京電力が東京電力を東京電力の中から生み出さなければならないのです。

2011年10月12日水曜日

大きな問題を素通りしていないか?=9・19「さようなら原発 5万人集会」

9・19「さようなら原発 5万人集会」で語られた言葉は、真直ぐに心に響く。
その通りである。  発言要旨9・19「さようなら原発 5万人集会」

大江健三郎さん、落合恵子さんなど有名人も呼びかけた原発をなくそうという集会だ。
全国から6万人が集まったとの主催者発表だった。一人ひとりの意思表示は尊い。福島県からも多くの人が参加した。

しかし、違和感もある。
集会では語られず、素通りされた放射能汚染物質の最終処理策の問題。
放射能汚染を引き受けようという意志のない、集会参加者の姿に違和感を覚えた。

集会でのメッセージを読むと、だれも放射能汚染物質の最終処分場を引き受けようと発言しなかった。原発事故の収束の最終的策を、他人事のようにしか考えない姿がそこにある。被害者として声を上げた福島県からの参加者も同列だ。

私達が直面している最終処分や廃炉は、推進派も反対派も脱派もさよなら派も関係なく、現在原子力発電所の電気を利用している全ての人の問題として、厳然と存在している。

集会参加者のアピールからは、問題の解決を他人に押し付ける頑なな姿と、正面から向き合わない無責任を感じる。事故処理の最終問題を深く考えず底が浅い。
過酷な福島第一原子力発電所事故を経験しているのに、体験の深化を反映しないのは、いったい何故だろう。

せめて、文学者として集会を呼びかけた大江健三郎さんだけでも『私たち一人ひとりが、自分の住んでいる場所に、放射能汚染物質の処分場を引き受けるために立ち上がろう』と語るべきではなかったのか。
膨大な放射性物質と放射能汚染物質の存在を、他人事のようにしか考えない6万人の姿から新たな未来への展開は見えない。

膨大な放射性物質と汚染物質は、私たちの問題でもあるという痛切な深省がない。
「トイレの無いマンション」と、都会人らしい表現で原発の限界を語る人々の言葉にも同じ根深い病根がある。

「本土で基地移設を君は語るが、その前に、私達の頭を踏みつけている君の足をどけて欲しい。」
雑誌にあった沖縄県民の言葉だ。
基地移設を脱原発に置き換えると、本土と沖縄、関東と福島の関係が同じ状況であることを表す文章になる。

沖縄で基地に苦しむ人達が、本土で平和を旗印に深省なく反基地を語る人に対するのと同じ思いを抱く。